2001年度(社)幸手青年会議所 社会開発委員会委員長
2001年度 ハッピーハンド実行委員会 実行委員長 三牧信吾
ハッピーハンドクリスマス2001。このイベントは、(社)幸手青年会議所の事業の一環として行われた。2001年度秋葉理事長が「行ってみよう事業」をやってくれ。といったのが始まりであった。2000年11月から構想を重ね、函館JCのクリスマスファンタジーを委員会メンバーで視察。あまりの事業の素晴らしさに圧巻。「もし、これが幸手でできたら」という気持ちがいっぱいになった。その後関東一円のクリスマスツリーをほとんど見て回ったが、函館より参考になるものはなかった。以来、青年会議所内のメンバーと共に事業の内容について、数えられないくらいの会議を重ねた。激論に次ぐ激論が毎晩深夜まで続いた。ツリーになるもみの木を探しに福島、栃木、群馬、長野等何度も山には入り、探し回った。5月頃やっと見つかり、木の持ち主と交渉。タダでもらわなくてはならない。趣旨をメンバーが説明し、何とかクリアー。次に問題になったのは、電球であった。国産であれば、どんなに安くても50円/球。これだと大幅に予算オーバーである。「為せばなる」を合い言葉に中国・台湾・韓国・タイとサンプルを送ってもらい、韓国でやっと見つかる。すぐにメンバーと韓国へ飛び、その日の内に商談をすませ、約60000球を30万円で購入した。いよいよ軽井沢より木を切り出す日になる。当日メンバー10名あまりで現地へ。前日までにメンバーが切り出しの前準備のため幾度となく軽井沢に通い、もみの木に薬をかけたりしていた。そのとき、事故が起きる。なんとクレーン車のブームの根本からぼっきりと折れ、もみの木の枝はぐしゃぐしゃ。使い物にならない。半年をかけやっと探し出したもみの木を一瞬のうちに失ってしまった。そのとき11月1日。なんと、その日のうちに別の木を見つけるという離れ技をメンバーより見せられた。無事、11月4日早朝に幸手に到着。秋葉理事長が春先よりテレビ、新聞ほかマスコミに手紙、FAX、E-mail 等で取材以来をしていたということが後にわかり、NHK浦和が取材にくることになっていた。朝4:00よりもみの木の立て込み準備。暗くなるまでに何とか足場まで終わらせることができ、みんなドロドロになって作業に集中した。その後約3週間電球付けや会場の整備等におわれた。12月1日のオープニングセレモニーに向け、出演者等と綿密なリハーサルが進む。来場者が少ないと大変だということで、急きょ新聞折り込みにてチラシの配布。メンバー全員の完璧な動きに感動した。この時期から、私は何もしなくても、全メンバーが必死にやってくれる。私にとってある時期までなかなか進まないメンバーとの話し合いにうんざりしていた時期も確かにあった。そのときにやめていたら、人間的にも何も成長できなかったと思う。最後まであきらめないで、行動したことが私自身にとって大変役に立ち、自信につながったと言える。この事業の目的は、まちづくり事業であったが、この事業を通じて多くのメンバーが人間的に大きく成長したことは間違えがない。こんな(社)幸手青年会議所に大きく感謝したい。みんな、本当にありがとう。そして来年以降もこの事業を継続したい。
くやし涙 ・・・・・3回
うれし涙 ・・・・・10回以上